Minecraftのサーバーを無差別に荒らす、というのは安易で配信を盛り上げることが出来るテーマだけどそれをしたら表現者として負け。
色々思うことがあるので書いた。宛先はそいつ。
- 現実世界でも見知らぬおっさんをいきなりぶん殴ってダウンしたところを携帯撮影したら相当おもしろい
- 現実世界でも見知らぬ家に侵入して家具を色々破壊する映像を撮影したらおもしろい
- 実は悪いことってのはやれば誰でも面白くなる。
- それは映像として面白いから、ユニークであるから、普段見たこともないような映像だから。
- 火山が爆発したり、津波が押し寄せてきたり、爆弾が爆発したり、そういった普通では見られないような映像に人間は惹かれる
- これがこういった行為が面白い理由の根源
- それは映像として面白いから、ユニークであるから、普段見たこともないような映像だから。
ではなぜお前がそれをしようとするのか、なぜ誰もそれをしようとしないのか。
なぜ"お前"がそれをしようとするのか
- 表現力も技術力も会話力もないから普通のことをすると普通の人がすることでは注目を集められないから。普通の人に勝てないから。
- スキルもセンスもないのでまっとうに表現をすると誰にも相手にされないから
なぜ誰もそれをしようとしないのか
- まっとうな人たちは自分の表現をすることで楽しんでいる、誰かを楽しませたいと思っているから
- そして皆個人としての表現力もあるし、他者の表現力をも認めているから、他者の作品を壊そうとは思わない
- またそうした自己表現を壊された時に自分自身が不快に思うから、他者の表現を壊そうとしない。
- そして皆個人としての表現力もあるし、他者の表現力をも認めているから、他者の作品を壊そうとは思わない
破壊の楽しみについては認める
- 先に述べたように何かを壊すという破壊の快楽というのは間違いなく存在する
- 火山に飲まれて人々が死ぬ光景とか、海で人がサメに食い殺される動画とか、人間はこういった映像が好きで好きでたまらない。だからこそ映画というものがある。
- 映画で人はさまざまな衝撃的な死に方をする
- 火山に飲まれて人々が死ぬ光景とか、海で人がサメに食い殺される動画とか、人間はこういった映像が好きで好きでたまらない。だからこそ映画というものがある。
結論
- だれでもやったら面白くなるみたいな安易な表現に逃げるのは表現者として負け