キモブロ

Please spy check please, Fucking retard

暴力的なゲームは明らかに暴力的な思考に結びついてる

「暴力ゲームと暴力事件は関係ないデブー。安全デブー」とか言ってるデブは対してゲームをプレイしていないだけのアホ野郎であって、俺みたいにまじめにちゃんとゲームやってて真剣に勝利を目指して味方プレイヤーを罵倒してたりする人からすれば、間違いなくリアルでの暴力的な思考に結びついてるわけ。

こんな甘えた事言ってるデブは、たいしてガチになってゲームやってねーんだよデーブ。

そんで「暴力ゲームが駄目なら暴力映画も駄目だろ!!」みたいな比較するデブが居るけど、これについては俺はどちらも人間に影響が有ると思ってるけど、ゲームの方が明らかにその影響度は高い。なぜなら、ゲームは意思に対してのフィードバックが有るから。自分の意志で考えてキャラクターを動かして敵を殺したり出来る。一方映画は他人が殺している。第三者的な感覚がある。ここが大きな違い。この二つを比べるのであればゲームの方が危険であるとは言える。しかしそれは実はまったく重要ではない。詳細は後述する。

暴力ゲーム、というか芸術作品のすべては明らかに実世界に影響があります。プレイヤーの思考に影響を与えます。芸術ってのはなぁ、人間の思考に明らかに影響を与えるから美しいし尊いものなんだよ。デブの人たちはまずこれを素直に認める必要がある。

たとえばFPSをやりまくってる俺なんかはリアルでその辺の街を歩いてたら、ふと「あの窓に手榴弾をなげてみてぇなぁ」と思ったりするし、人間ってのは機械学習をする生き物であって繰り返し繰り返し同じ事を繰り返してると体がとっさに反応をするようになる性質があるのだし、レミゼラブルを数百回見てたらジャンバルジャンみたいな心優しい性格の男になるだろうし、たとえば俺が銃を手にしたときに曲がり角で中東のおっさんが飛び出してきたらそいつはテロリストで俺に発砲してくるのだから、条件反射的に発砲して射殺してしまうことになる。

ただ、ただね。ここまで書いといてあれですが、こうした暴力的な思考になるところまでは別にどうでもいいんです。実際に銃が手に入る事のほうが大きな問題だしその問題の方がはるかに大きいんですよ。よく理解してください。ウェイトが違いすぎる。また、その「暴力的思考」を社会に対して向けざるを得なくしてしまう生活環境の方がはるかにもんだいなわけです。俺ぐらい「暴力ゲームによってリアルの思考が影響されてしまった人間」でさえ、いまだに誰も殺していないわけです。そうなんです。反社会的な意思を持ってしまうに至る原因の方をなんとかしないといけないわけです。たとえば「学校でのいじめ」「社会でのいじめ」「不倫、浮気」などなどありとあらゆる不誠実行為のすべて。我々が解決すべきなのは "芸術" ではなくて "社会環境" です。芸術ってのはなぁ、人間の思考に明らかに影響を与えるんだよ。だから芸術は美しいし尊いものなんだよデブ